カテゴリー: 再挑戦の記録

  • 7-8 第8話 それでも残った疑問

    7-8 第8話 それでも残った疑問


    私は、この問題から少しずつ離れていった。

    だが、疑問が消えたわけではなかった。

    むしろ、最後まで残った疑問は一つに絞られていった。

    約1,455万円は、結局、誰が受け取ったのか。

    K社長の話が、すべて正しかったとは今でも思っていない。

    出来事から十五年以上が経っていた。

    記憶違いもあっただろう。

    話の中には、つじつまの合わないところもあった。

    預金総額は約1,455万円なのに、なぜ約1,000万円を振り込むという説明だったのか。

    残りの約455万円はどうする話だったのか。

    「白紙の領収証」と呼んでいたものは、本当に領収証だったのか。

    行員Aは、本当に6月8日に退職したのか。

    2019年の支店訪問で、本当に実印が執務室へ持ち込まれたのか。

    支店長は本当に、

    「Kさん、金、下ろしたんじゃないの?」

    と言ったのか。

    どれも、私がその場で確認したことではない。

    K社長から聞いた話である。

    だから、それらを銀行側の事実として書くことはできない。

    一方で、資料によって確認できたこともあった。

    2006年6月8日。

    普通預金1,354万6,120円。

    定期預金100万円。

    合計1,454万6,120円。

    その全額が、通帳の上では払い戻されている。

    残高はゼロになっていた。

    そしてK社長は、

    「自分は一円も受け取っていない」

    と言い続けた。

    もしK社長の記憶違いだったのなら、それでもよかった。

    本人が現金を受け取った記録があれば、それを見れば終わる。

    別口座へ送ったのであれば、送金先を確認すればよい。

    第三者が正規に受け取ったのであれば、その記録があればよい。

    ところが、その一番単純な確認が最後までできなかった。

    私は、銀行員が横領したと決めつけたくなかった。

    一方で、

    「回答済みである」

    という言葉だけで、

    「K社長の勘違いだった」

    と片づけることもできなかった。

    私が知りたかったのは、犯人ではない。

    事実だった。

    2006年6月8日。

    あの日、口座から払い戻された約1,455万円は、どこへ行ったのか。

    その疑問は、結局残った。


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  • 7-7 第7話 打つ手がなくなっていった

    7-7 第7話 打つ手がなくなっていった


    銀行の回答書を確認することはできなかった。

    警察へ渡した資料も、手元にはなかった。

    払戻伝票も見ることができない。

    それでも私は、しばらくの間、この問題をもう少し追えるのではないかと思っていた。

    だが、現実には次第に難しくなっていった。

    一番大きかったのは、K社長自身がほとんど動けなくなっていたことだった。

    銀行へ行く。

    弁護士に会う。

    静岡県側の警察へ相談に行く。

    どれも、本人の協力なしには進めにくい。

    私は正式な代理人でもなければ、家族でもない。

    知人として資料を整理し、問い合わせを手伝うことはできても、本人に代わってすべてを進めることはできなかった。

    全国銀行協会まで相談すれば、さすがに何かは動く。

    私は、どこかでそう思っていた。

    だが、結果は変わらなかった。

    では、次に何をすればいいのか。

    弁護士に改めて動いてもらうのか。

    K社長に静岡県側の警察へ行ってもらうのか。

    訴訟まで考えるのか。

    そこまで行けば、もはや私が知人として少し手伝うという範囲を超えていた。

    しかも、その頃にはK社長自身がほとんど自由に動けなくなっていた。

    正直に言えば、私自身も少し腰が引けていた。

    もう一つ、大きなきっかけがあった。

    私の勤務先が、新宿から神田へ移ったのである。

    それまでは、K社長の事務所がある新宿が、私の日常の動線の中にあった。

    仕事の帰りに寄る。

    少し顔を出す。

    一緒にビールを飲みながら話を聞く。

    そういうことが簡単にできた。

    ところが、勤務先が神田へ移ると、新宿は「わざわざ行く場所」になった。

    ほんの少しの距離の違いである。

    だが、人間の付き合いというのは、そんな小さな変化で意外なほど変わる。

    「今日は寄ってみよう」

    と思う機会が減った。

    K社長からも、以前ほど頻繁に連絡が来なくなった。

    私からも、銀行の件について積極的に動くことが減った。

    忘れたわけではなかった。

    ただ、

    この問題は、もう自分の力では解決できないのかもしれない。

    そう思うようになっていた。

    最後にいつ会ったのか。

    最後にいつ電話で話したのか。

    今となっては、正確には思い出せない。

    連絡を取らない時間だけが、少しずつ長くなっていった。


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  • 7-6 第6話 確認できなかった回答書

    7-6 第6話 確認できなかった回答書


    銀行は、回答書を送ったと言う。

    K社長は、見ていないと言う。

    その間にいたのが、弁護士Dだった。

    私はK社長に、弁護士Dへ連絡し、銀行から届いた回答書が残っていないか確認してもらうよう頼んだ。

    だが、話はなかなか進まなかった。

    「先生には、前に頼んだんですよ」

    「何て言っていましたか」

    「探してみるって言ってたかな」

    「回答書はあったんですか」

    「そこが、よく分からないんですよ」

    K社長の説明は、どうしても曖昧だった。

    当時のK社長はすでに足が悪く、体調にも波があった。

    一方、弁護士Dもかなり高齢だった。

    何年も前の案件だった。

    書面が事務所に残っているのか。

    K社長へすでに渡していたのか。

    どこかに紛れてしまったのか。

    正確なことは分からなかった。

    私は正式な代理人ではない。

    K社長の知人として資料の整理を手伝っているだけである。

    弁護士には守秘義務もある。

    私が直接聞けば何でも教えてもらえるという話でもなかった。

    結局、その回答書を私は見ることができなかった。

    もう一つ、手がかりになりそうな資料があった。

    2019年にK社長が支店を訪れた際、銀行から渡されたという書類である。

    支店内で見せられたものとは違っていた、とK社長が話していたコピーだった。

    K社長は、その書類を原宿警察署へ持っていき、相談していた。

    問題の銀行支店は静岡県内にある。

    そのため原宿警察署からは、

    「管轄外なので、静岡県側の警察へ相談してください」

    という趣旨の説明を受けたという。

    K社長の話では、熱海警察署へ行くよう案内された。

    そして、原宿警察署へ渡した関係書類は、K社長の手元には戻ってこなかった。

    被害届が正式に受理されたのかどうか。

    そこは、今となっては私にもはっきりしない。

    ただ、K社長が警察へ書類を持ち込み、その後、その資料を自分では持っていなかったことは覚えている。

    もし手元に残っていれば、私自身が後から確認できたかもしれない。

    K社長が原宿警察署を頼ったのには、理由があった。

    以前、地元で起きたトラブルの解決に協力し、原宿警察署から表彰を受けたことがあったという。

    その表彰状は、私も実際に見たことがある。

    だからK社長には、

    「以前は自分が警察に協力したのに、自分が困ったときには助けてもらえない」

    という思いがあったようだった。

    「表彰状なんか、破いてしまおうかと思った」

    そんなことも言っていた。

    怒り半分、寂しさ半分だったのかもしれない。

    銀行の回答書は、弁護士のところにあるかもしれない。

    支店から渡された資料は、警察にあるかもしれない。

    払戻しの記録は、銀行にあるかもしれない。

    だが、私たちの手元にはない。

    残っているのは、残高がゼロになった通帳と、K社長の記憶だった。

    私は、この問題をどこまで追うべきなのか、少しずつ迷い始めていた。


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  • 7-9 第9話 もう、聞くことはできない

    7-9 第9話 もう、聞くことはできない


    2026年8月。

    私は、久しぶりにK社長のことを思い出した。

    ずいぶん長く連絡を取っていない。

    どうしているだろうか。

    私は、彼の会社へ電話をかけた。

    電話に出たのは、最後まで会社に残っていた従業員だった。

    私は尋ねた。

    「K社長、いらっしゃいますか」

    少し間があった。

    そして、

    「社長は、もう二年以上前に亡くなりました」

    と返ってきた。

    第1話の冒頭に書いた、あの言葉である。

    だが、そのときの私は、すぐには言葉が出なかった。

    亡くなる前、K社長は弟に電話をかけ、

    「痛い、痛い」

    と訴えていたという。

    翌日、弟が部屋を訪ねたときには、すでに亡くなっていた。

    葬儀は家族だけでひっそり行われた。

    私は何も知らなかった。

    もっと早く電話していれば。

    そう思わなかったと言えば嘘になる。

    だが同時に、当時の自分が、この問題をどう進めればいいのか分からなくなっていたことも事実だった。

    銀行へ問い合わせた。

    消費者センターにも相談した。

    全国銀行協会にも話を持ち込んだ。

    回答書を探した。

    警察へ渡した資料も確認できなかった。

    K社長自身も、ほとんど動けなくなっていた。

    そして私も、少しずつこの問題から離れていった。

    だから、

    「もっと何かできたはずだ」

    と簡単に言うこともできない。

    それでも、K社長が亡くなったと聞いたとき、一つだけ強く思った。

    もう、本人に確かめることはできない。

    2006年6月8日、支店で何があったのか。

    「白紙の領収証」と呼んでいた書類は、本当は何だったのか。

    約1,000万円を振り込むという話の残り、約455万円について、どんな説明を受けたのか。

    2019年、支店で見せられた書類と、持ち帰ったコピーは、具体的にどこが違っていたのか。

    実印を銀行員が持って執務室へ入ったという話も、もっと詳しく聞いておけばよかった。

    そして何より、

    本当に、一円も受け取っていないのか。

    その答えを、私はもう本人から聞くことができない。

    通帳の上では、約1,455万円は確かに払い戻されている。

    K社長は、

    「自分は受け取っていない」

    と言い続けた。

    銀行は、

    「すでに回答済みである」

    と繰り返した。

    だが、その回答書を、私は最後まで見ることができなかった。

    今となっては、どちらが正しかったのかを断定することはできない。

    K社長の記憶違いだったのかもしれない。

    正規の手続によって、誰かに支払われていたのかもしれない。

    あるいは、本当に銀行内部で何かが起きていたのかもしれない。

    私には分からない。

    ただ一つだけ、今も変わらない疑問がある。

    2006年6月8日。

    あの日、口座から払い戻された約1,455万円は、

    いったい、誰が受け取ったのか。

    その答えを知ることなく、K社長は亡くなった。

    そして私は、その答えを本人に確かめることも、もうできなくなった。

  • 7-5 第5話 「回答書は送っています」

    7-5 第5話 「回答書は送っています」


    銀行との直接のやり取りだけでは、話が前へ進まなかった。

    そこで私は、銀行以外の相談窓口を探した。

    2022年10月13日。

    消費者センターに連絡した。

    しかし、

    「事件性のあるものは扱えない」

    という回答だった。

    翌10月14日。

    私は、全国銀行協会の相談室へ連絡した。

    銀行との取引に関する相談や苦情を扱う窓口である。

    私はこれまでの経緯を説明し、銀行の回答書をもう一度確認できるようにしてほしいと頼んだ。

    知りたいことは、最初から変わっていない。

    約1,455万円は、誰に、どのように支払われたのか。

    本人が受け取ったというのであれば、その根拠は何なのか。

    そして、2006年6月8日に行員Aは本当に退職したのか。

    全国銀行協会を通じて話をすれば、これまでとは違う具体的な説明が出てくるかもしれない。

    私は期待していた。

    四日後の10月18日。

    銀行から連絡があった。

    その趣旨は、

    以前、代理人の弁護士宛てに回答書を送付している。

    したがって、本人側にはすでに回答済みである。

    というものだった。

    私は、また同じ場所へ戻ってきたような気がした。

    銀行は、

    「回答書を送った」

    と言う。

    K社長は、

    「持っていない」

    と言う。

    回答書をもう一度送ってほしいと頼んでも、

    「すでに送っている」

    という説明が返ってくる。

    もちろん、銀行側から見れば、正式な代理人である弁護士へ書面を送った時点で、回答は完了しているのかもしれない。

    同じ書面を何度も送る義務があるのかどうかも、私には分からない。

    だが、K社長本人は、預金が誰に支払われたのか分からないままだった。

    私も分からない。

    回答書の中には、その答えが書かれているのかもしれない。

    あるいは、

    「銀行に返金義務はない」

    という結論しか書かれていないのかもしれない。

    それを確かめるには、実物を見るしかなかった。

    そこで私は、今度はその回答書が送られたという弁護士を確認する必要があると考えた。

    ここでは、その弁護士を「弁護士D」としておく。

    存在すると言われている一通の回答書。

    それを探すことになった。

    → 第6話_「確認できなかった回答書」へ

    第5話 「回答書は送っています」

    銀行との直接のやり取りだけでは、話が前へ進まなかった。

    そこで私は、銀行以外の相談窓口を探した。

    2022年10月13日。

    消費者センターに連絡した。

    しかし、

    「事件性のあるものは扱えない」

    という回答だった。

    翌10月14日。

    私は、全国銀行協会の相談室へ連絡した。

    銀行との取引に関する相談や苦情を扱う窓口である。

    私はこれまでの経緯を説明し、銀行の回答書をもう一度確認できるようにしてほしいと頼んだ。

    知りたいことは、最初から変わっていない。

    約1,455万円は、誰に、どのように支払われたのか。

    本人が受け取ったというのであれば、その根拠は何なのか。

    そして、2006年6月8日に行員Aは本当に退職したのか。

    全国銀行協会を通じて話をすれば、これまでとは違う具体的な説明が出てくるかもしれない。

    私は期待していた。

    四日後の10月18日。

    銀行から連絡があった。

    その趣旨は、

    以前、代理人の弁護士宛てに回答書を送付している。

    したがって、本人側にはすでに回答済みである。

    というものだった。

    私は、また同じ場所へ戻ってきたような気がした。

    銀行は、

    「回答書を送った」

    と言う。

    K社長は、

    「持っていない」

    と言う。

    回答書をもう一度送ってほしいと頼んでも、

    「すでに送っている」

    という説明が返ってくる。

    もちろん、銀行側から見れば、正式な代理人である弁護士へ書面を送った時点で、回答は完了しているのかもしれない。

    同じ書面を何度も送る義務があるのかどうかも、私には分からない。

    だが、K社長本人は、預金が誰に支払われたのか分からないままだった。

    私も分からない。

    回答書の中には、その答えが書かれているのかもしれない。

    あるいは、

    「銀行に返金義務はない」

    という結論しか書かれていないのかもしれない。

    それを確かめるには、実物を見るしかなかった。

    そこで私は、今度はその回答書が送られたという弁護士を確認する必要があると考えた。

    ここでは、その弁護士を「弁護士D」としておく。

    存在すると言われている一通の回答書。

    それを探すことになった。


    → 第6話_「確認できなかった回答書」へ

  • 7-4 第4話 銀行への手紙

    7-4 第4話 銀行への手紙


    私は、K社長から聞いた話を一枚の文書にまとめた。

    銀行に確認したかったことは、三つだった。

    一つ目。

    行員Aは、本当に2006年6月8日に退職したのか。

    二つ目。

    同日付で全額払い戻された預金について、払戻伝票や送金記録は残っているのか。

    三つ目。

    K社長が、その約1,455万円を受け取ったことを示す記録はあるのか。

    私が求めたのは、それだけだった。

    約1,455万円を返してほしい、と要求したわけではない。

    行員Aが横領した、と決めつけたわけでもない。

    本人は、

    「受け取っていない」

    と言っている。

    一方、通帳上では預金は全額払い戻されている。

    ならば、その金が誰に、どのような方法で支払われたのか。

    そこを確認したかった。

    もちろん、問題の手続は2006年のことである。

    すでに十五年以上が経っていた。

    保存期間が過ぎ、当時の伝票が残っていない可能性もあった。

    それなら、それでもよかった。

    「記録が残っていない」

    というのも、一つの回答である。

    この銀行について、もう一つ書いておかなければならない。

    私がK社長から本格的に相談を受けた頃、この銀行は、すでに大規模な不正融資問題で社会の厳しい批判を浴びていた。

    もちろん、その問題とK社長の預金の問題は別である。

    過去に不祥事を起こした銀行だからといって、今回も不正があったと決めつけることはできない。

    ただ、

    「銀行員に金を取られた」

    と聞いたとき、その銀行をめぐる過去の問題が頭に浮かばなかったと言えば嘘になる。

    だからこそ、逆に記録で確認したかった。

    ところが、銀行から返ってきた回答は、私が期待していたものとは違っていた。

    その趣旨は、おおむね、

    この件については、すでに本人側へ回答している。

    銀行として、これ以上払い戻しに応じる理由はない。

    というものだった。

    私は少し戸惑った。

    こちらは、まず事実関係を確認したかったのである。

    それに対する答えが、

    「すでに回答済みです」

    だった。

    では、その回答を見ればよい。

    私はK社長に尋ねた。

    「銀行から、以前に正式な回答書をもらっているんですか」

    「いや、もらってないと思いますよ」

    「弁護士の先生には届いていませんか」

    「分からないですね」

    K社長は以前、この件を弁護士に相談していた。

    銀行の説明によれば、その弁護士宛てに回答書を送っているという。

    だが、K社長の手元にはなかった。

    私も見ることができなかった。

    銀行が回答書を送ったという話自体を、私は疑っていたわけではない。

    正式な代理人である弁護士へ回答していたのかもしれない。

    問題は、その中身を確認できないことだった。

    ならば、その回答書をもう一度送ってもらえばいい。

    私はそう考えた。


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  • 7-2 第2話 白紙の領収証

    7-2 第2話 白紙の領収証


    「白紙の領収証に、実印を押したんですか」

    私は思わず、もう一度聞き返した。

    「そうだよ。銀行の人が必要だと言ったから」

    K社長は、何でもないことのように答えた。

    何でもないはずがない。

    金額も、支払先も、使い道も書かれていない書類に名前を書き、実印を押して渡す。

    普通なら、絶対にしてはいけないことだった。

    だが、これは道端で見知らぬ男に頼まれた話ではない。

    銀行の支店内で、銀行員から、

    「手続に必要です」

    と言われたのである。

    相手が銀行員であれば、正式な書類だと思ってしまう。

    もちろん、だからといって白紙の書類に実印を押してよいことにはならない。

    K社長自身も、後になって、

    「自分にも落ち度はあった」

    と認めていた。

    ただ、そもそもその紙が本当に一般的な「領収証」だったのかは分からない。

    銀行所定の払戻請求書だったのか。

    別の手続書類だったのか。

    現物は残っていない。

    K社長が一貫して「白紙の領収証」と呼んでいただけである。

    話は、2006年5月30日に遡る。

    身寄りのない男性が亡くなった後、K社長は、その人が残した遺言に基づいて預金を受け取るため、弁護士とともに伊豆にある地方銀行の支店を訪れた。

    預金は、

    普通預金1,354万6,120円。

    定期預金100万円。

    合計1,454万6,120円。

    窓口では、手続に必要な裁判所関係の書類などを持ってくるよう説明されたという。

    9日後の6月8日。

    今度は税理士を伴い、再び支店を訪れた。

    持参したのは、裁判所関係の書類、実印、印鑑証明などだった。

    その日、対応した銀行員を、ここでは「行員A」としておく。

    K社長の説明によると、行員Aは、持参した書類に加えて、白紙の書類にも記名し、実印を押すよう求めた。

    理由は、

    「銀行内部の手続に必要だから」

    というものだった。

    K社長は、その指示に従った。

    「その書類の控えはなかったんですか」

    私が尋ねても、手元には残っていなかった。

    その日の説明では、別の支店にK社長名義の新しい口座を作り、そこへ金を移すことになっていたという。

    内部決裁には10日ほどかかる。

    その後、約1,000万円と利息を振り込む。

    K社長は、そう説明されて東京へ戻った。

    ここに、一つ分からないことがある。

    預金総額は約1,455万円だった。

    ところが、振り込むと説明された金額は約1,000万円。

    残りの約455万円はどうする話だったのか。

    現金で渡す予定だったのか。

    別の処理をする予定だったのか。

    K社長に聞いても、はっきりした答えは返ってこなかった。

    十五年以上前の出来事である。

    本人の記憶が混乱していた可能性もある。

    説明を聞き違えていた可能性もある。

    そもそも、最初から預金全額を移す話ではなかったのかもしれない。

    だが、後になって通帳を確認すると、2006年6月8日付で、普通預金も定期預金も全額が払い戻されていた。

    そして、その約10日後。

    支店の別の銀行員から、K社長へ電話があったという。

    「行員Aは、6月8日に退職しました。今後は私が担当します」

    私は、その日付に目を止めた。

    6月8日。

    K社長が支店を訪れた日。

    白紙の書類に実印を押したとされる日。

    預金全額が払い戻された日。

    そして、担当銀行員が退職したと説明された日。

    すべてが同じ日だった。

    「本当に、その日に退職したんですか」

    私は尋ねた。

    「そう聞いたんだよ」

    K社長は答えた。

    だが、それを裏付ける資料はなかった。

    だから、この時点では何も断定できない。

    本人が正規に預金を受け取っていた可能性もある。

    別の口座へ送金されていた可能性もある。

    手続に関わった第三者を通じて処理されていた可能性も否定できない。

    だが、確認する方法はあるはずだった。

    誰に支払ったのか。

    どこへ送金したのか。

    誰の署名や押印によって払い戻したのか。

    そして行員Aは、本当にその日に退職したのか。

    銀行の記録を確認すれば分かるはずだった。

    しかし、K社長はその後、すぐには支店へ戻らなかった。

    新しい担当者を名乗る銀行員から、

    「印鑑証明を持って、もう一度支店へ来てほしい」

    と何度も言われたという。

    K社長は、東京の支店へ送金してほしいと頼んだ。

    しかし、

    「それはできない。一度こちらへ来てほしい」

    と言われ続けた。

    その頃には足も悪くなっていた。

    しかも、金に困っていたわけではない。

    銀行にある金が消えるはずはない。

    いつか足が良くなったら行けばいい。

    そう思っているうちに、年月が過ぎた。

    「銀行だから、安心してたんだよ」

    K社長は、そう言った。

    白紙の書類に実印を押したことも。

    長年、通帳を確認しなかったことも。

    本人の不注意と言えば、そのとおりだった。

    だが、その不注意の根底には、

    銀行なら信用できる。

    銀行員が言うなら間違いない。

    という感覚があったのだろう。

    その信頼が正しかったのか。

    それとも、K社長の記憶の方が間違っていたのか。

    答えは、まだ分からなかった。

    そして十数年後。

    K社長は、再びその支店へ向かうことになる。


    → 第3話_「消えていた預金」へ

  • 7-3 第3話 消えていた預金

    7-3 第3話 消えていた預金


    2019年5月23日。

    K社長は、十三年ぶりに伊豆の支店を訪れた。

    足は以前より悪くなっており、一人で長距離を移動するのは難しかった。

    そこで、別の友人に付き添ってもらい、東京から支店へ向かった。

    私も当時、この支店訪問についてK社長から話を聞いていた。

    ただ、

    「一緒に来てほしい」

    と同行を頼まれたのか、

    それとも単に、

    「今度、支店へ行ってくる」

    と聞いていただけなのか。

    その点は、今となってははっきり覚えていない。

    いずれにしても、私は同行していない。

    支店でK社長が面談したのは、支店長と、以前から連絡を取っていた銀行員だった。

    ここでは、支店長を「支店長B」、もう一人を「行員C」としておく。

    K社長の説明によれば、その席で支店長Bが言った。

    「Kさん、金、下ろしたんじゃないの?」

    K社長は、その言葉を何度も私に話した。

    本人は一円も受け取っていないと訴えている。

    もし本当に、その訴えに対する言葉が、

    「自分で下ろしたんじゃないのか」

    だったとすれば、かなり乱暴に聞こえる。

    だが、私はその場にいなかった。

    その言葉を直接聞いたわけではない。

    私が知っているのは、K社長がそう話していた、ということだけである。

    さらに、行員Cからは、

    「裁判をするか」

    と言われたという。

    これも正確な意味は分からない。

    「銀行の説明に納得できないなら、裁判を起こせばいい」

    という意味だったのか。

    「裁判にするつもりなのか」

    と確認しただけなのか。

    あるいは別の文脈だったのか。

    録音も面談記録も残っていない。

    ただ、この面談をきっかけに、K社長の認識は大きく変わったようだった。

    それまでは、

    手続が途中で止まっているだけだ。

    足が良くなれば支店へ行けばいい。

    銀行にある金が消えるはずはない。

    そう思っていた。

    ところが、十数年ぶりに支店を訪れ、

    「自分で下ろしたんじゃないのか」

    と言われた。

    そのとき初めて、

    手続が止まっているのではない。

    預金そのものが、もうない。

    そう考えるようになったのだと思う。

    面談では、銀行内部の書類をいくつか見せられたという。

    どんな書類だったのか。

    払戻伝票だったのか。

    本人確認資料だったのか。

    送金記録だったのか。

    K社長の説明だけでは、はっきりしなかった。

    帰り際には、それらのコピーを渡された。

    ところが、帰路の車の中で確認すると、

    「支店で見せられたものと違う」

    と感じたという。

    「何が違ったんですか」

    私が尋ねても、説明は曖昧だった。

    ページが違ったのか。

    一部が抜けていたのか。

    別の書類だったのか。

    細部は分からなかった。

    しかも、そのコピーは後に警察へ渡したため、手元には残っていなかった。

    私は、その話を聞きながら、もどかしさを感じていた。

    本当に違う書類だったのなら、なぜその場で確認しなかったのか。

    なぜ写真を撮らなかったのか。

    なぜコピーをもう一部残さなかったのか。

    だが、当時のK社長はすでに高齢で、足も悪かった。

    銀行まで行くだけでも大仕事だったはずだ。

    もう一つ、私が驚いた話があった。

    面談の途中、K社長がトイレに立った。

    その際、実印を銀行員に預けたままにしていたという。

    戻ってみると、実印は手元になく、銀行員が執務室へ持っていっていた。

    そのためK社長は後になって、

    自分の知らない書類に、印鑑を押されたのではないか。

    と疑っていた。

    私は驚いて聞き返した。

    「戻ってきたら、実印が手元になかったんですか」

    「そうなんですよ。ただ、何か説明されて、その場では納得してしまったんです」

    正確な言葉までは覚えていないが、私たちの会話はおおむねそんな内容だった。

    K社長が声を荒らげたわけではない。

    むしろ、

    「何でその場で納得してしまったんでしょうね」

    と、自分でも困ったように振り返っていた。

    もちろん、本当に銀行員が実印を持って執務室へ入ったのか。

    そこで何が行われたのか。

    何かの書類に押印されたのか。

    確認できる資料はない。

    普通に考えれば、にわかには信じ難い。

    だからこそ、記録を確認する必要があった。

    通帳には、2006年6月8日付で、普通預金と定期預金の全額が払い戻された記録が残っていた。

    残高はゼロ。

    そこだけは、K社長の記憶ではない。

    問題は、その金を誰が受け取ったのかである。

    私はK社長に何度も確認した。

    「本当に現金を受け取っていませんか」

    「受け取ってないですよ」

    「別の口座に入っていませんか」

    「それもないです」

    「弁護士か税理士が受け取った可能性は?」

    「ないと思いますよ」

    「昔のことで、忘れている可能性はありませんか」

    「いや、それはないですよ」

    ほぼ毎回、同じ答えだった。

    ならば、銀行に確認するしかない。

    「銀行の本部へ、正式に確認してもらいましょう」

    私はK社長に言った。

    記憶ではなく、記録を確認する必要がある。

    私は、これまで聞いた話を整理し始めた。


    → 第4話_「銀行への手紙」へ

  • 7-1 消えた一千五百万円

    7-1 消えた一千五百万円


    この話は、私が実際に相談を受けた出来事について、当時の資料と私自身の記憶をもとにまとめたものです。
    関係者のプライバシーに配慮し、一部の名称は伏せています。
    また、銀行側の不正を断定するものではありません。


    第1話 「銀行に二千万円取られた」

    古い付き合いの不動産会社社長が、亡くなった。

    その事実を私が知ったのは、彼の死から二年以上が過ぎた、2026年8月のことだった。

    しばらく連絡を取っていなかった彼の会社へ電話をかけると、最後まで会社に残っていた従業員から、

    「社長は、もう二年以上前に亡くなりました」

    と告げられた。

    私は何も知らなかった。

    彼とは、三十年以上前からの付き合いだった。

    若い頃はパンチパーマで、不動産業界の修羅場をくぐり、大きな金を動かしてきた男だった。

    そんな彼が晩年、私に繰り返し訴えていたことがある。

    彼にとって、最後まで心残りだったに違いない。

    そう思わずにはいられない、信じ難い話だった。

    「銀行に、二千万円取られたんだ」

    借金を取り立てられたという話ではない。

    投資商品を勧められて損をしたという話でもない。

    自分が受け取ることになっていた預金を、銀行員に取られた。

    彼は、そう言っていた。

    もちろん、私はその話を最初から信じたわけではない。

    銀行員が顧客の預金を持ち去るなど、普通ならあり得ない。

    だが、彼が差し出した古い通帳や書類を見ていくうちに、私は少しずつ、この話から離れられなくなっていった。

    約一千五百万円の預金は、確かに一日で払い戻され、残高はゼロになっていた。

    そして、その日付は、担当した銀行員が退職したとK社長が聞いた日と同じだった。

    これは、彼の死を悼むために書く記録である。

    同時に、彼が生きている間に解明できなかった、約一千五百万円の行方をたどる話でもある。

    K社長との付き合いは長い。

    私がまだ名古屋でマンション開発の仕事をしていた頃まで遡る。

    K社長は、私の上司の古い知人だった。

    愛知県内のマンション用地を紹介してもらい、それを私の担当案件として購入したことが、付き合いの始まりだった。

    それ以来、彼が東京から名古屋へ来ると、上司と私を交えて三人で飲むようになった。

    私が東京へ戻った後も、付き合いは続いた。

    K社長は、新宿にある大規模マンションの管理組合理事長を務めていた。

    住居だけでなく、事務所や店舗も入る、古い巨大な建物だった。

    彼は、その建替えについて、ときどき私に相談した。

    当時のK社長は、実際にパンチパーマだった。

    大柄な身体に、よく通る低い声。

    初対面の人なら、少し身構えたかもしれない。

    だが、私と話すときは、いつも普通の紳士だった。

    酒を飲んだ後にカラオケへ行くと、低く響く声で演歌を歌った。

    後に聞いたところでは、学生時代は大学の応援団に所属していたという。

    海千山千の不動産屋。

    そんな言葉がよく似合う人物だった。

    その後、私の仕事が変わり、しばらく疎遠になった。

    再び会うようになったのは、私が定年退職した後である。

    仕事に関係する資格登録を変更する必要があり、K社長の会社に協力してもらった。

    2019年に再会したとき、彼はもうパンチパーマではなかった。

    以前より小さくなったようにも見えた。

    杖を使っていたが、まだ自分で歩くことはできた。

    彼の会社が入っている建物の一階には、小さな飲食店があり、そこで一緒にビールを飲むこともあった。

    ところが、その後、足は急速に悪くなった。

    やがて一階の店へ下りることも難しくなり、私たちは彼の部屋でビールを飲みながら話すようになった。

    銀行の話を本格的に聞いたのは、2021年の暮れ頃だったと思う。

    「銀行に二千万円取られたんだ」

    K社長は、最初そう言った。

    しかし、資料を確認すると、実際の預金額はもう少し少なかった。

    普通預金が1,354万6,120円。

    定期預金が100万円。

    合計1,454万6,120円。

    「二千万円じゃなかったんですね」

    私が言うと、K社長は、それだけでも少しがっかりした様子だった。

    だが、問題は金額の違いではない。

    その約1,455万円が、口座からすべて消えていたのである。

    この金には、少し事情があった。

    K社長が管理に関わっていたマンションの住人の一人に、身寄りのない男性がいた。

    その男性はK社長と親しくなり、生前、

    「自分が死んだら、財産はあなたに残す」

    という趣旨の遺言を残していたという。

    男性が亡くなった後、K社長は、その遺言に基づいて預金を受け取るための手続きを進めることになった。

    それが、普通預金と定期預金を合わせた約1,455万円だった。

    K社長は、その金にすぐ手を付ける必要がなかった。

    「銀行に置いておけば、なくなることはない」

    彼は、そう信じていた。

    だから長い間、通帳を確認しなかった。

    やがて、自分の会社で長く働いた社員たちに、退職金代わりとして分けてやろうと考えた。

    そこで、久しぶりに預金を引き出そうとした。

    残高はなかった。

    「いつから、なかったんですか」

    私が尋ねると、K社長は古い日付を口にした。

    2006年6月8日。

    十五年以上も前だった。

    「十五年も確認しなかったんですか」

    私は思わず聞き返した。

    「銀行にあると思ってたんだよ」

    K社長は、当然のことを説明するように答えた。

    私は、ますます疑わしく思った。

    十五年以上も口座を確認せず、今になって銀行員に取られたと言われても、簡単には信じられない。

    本人が受け取ったことを忘れている可能性もある。

    別の口座へ移していた可能性もある。

    弁護士や税理士が何らかの手続に関わっていた可能性もある。

    だが、K社長の話には、妙に具体的な部分があった。

    2006年6月8日。

    銀行の支店で、ある書類に実印を押したというのである。

    K社長は、それを、

    「白紙の領収証」

    と呼んでいた。

    「白紙の領収証に?」

    私は聞き返した。

    「銀行の人が必要だって言ったから」

    私は頭を抱えたくなった。

    そして、この「白紙の領収証」が、話の最初の大きな疑問になった。


    → 第2話「白紙の領収証」へ

  • 4-8 67歳、Duolingo全コース修了。でも『Friends』は聞き取れない


    先日、Duolingoの英語コースをすべて修了した。

    画面には、

    「英語コースの修了おめでとう!」

    という文字が表示された。

    Duolingoを始めてから1,067日。
    有料会員になってからは、一日も欠かさず続けてきた。

    だから、修了画面が出たときは、純粋にうれしかった。

    ただし、英語が自由に聞き取れるようになったかといえば、残念ながら、まだそこまではいっていない。

    Netflixでアメリカのドラマ『Friends』を見ても、聞き取れるのは感覚的には半分くらいだ。

    全コースを修了したのに、まだ『Friends』は十分に聞き取れない。

    今回は、そんな現在の英語力と、これからの学習について書いてみたい。


    なぜDuolingoを始めたのか

    正直に言うと、Duolingoを始めた明確な理由は、あまり覚えていない。

    おそらく、定年退職後に次の仕事を探していたとき、英語力を求められる求人を見たことがきっかけだったのだと思う。

    その中には、外資系企業の監査役の仕事もあった。

    私のTOEICの最高点は745点である。

    数字だけを見れば、それなりに英語ができるようにも見える。

    しかし、私が勉強してきた英語は、基本的には受験英語である。

    文法や単語はある程度分かっても、実際の会話、特にヒアリングには自信がなかった。

    長く英語から離れていたため、かなりさび付いてもいた。

    定年後で多少時間もできたことから、

    「もう一度、英語を勉強してみようか」

    と思ったのだろう。

    特に伸ばしたかったのは、英語を聞き取る力だった。

    最初はDuolingoの無料版を試してみた。

    すると、これが予想以上によくできていた。

    妻と、

    「このアプリ、すごくいいね」

    と話し、やがて二人で家族会員になった。

    有料会員になってからは、毎日続けている。


    1,067日続けられた理由

    毎日続けられた一番の理由は、通勤時間に学習するリズムができたことだと思う。

    電車に乗ったらDuolingoを開く。

    それを毎日の習慣にした。

    そして、もう一つ大きかったのが、連続学習記録である。

    連続記録が長くなると、途中で切らすのが惜しくなる。

    そのうち、通勤する日もしない日も関係なく、毎日やるようになった。

    ここまで記録が続くと、もう簡単にはやめられない。

    ただ、単に記録を切らしたくなかっただけでは、1,000日以上は続かなかったと思う。

    やはり、英語が少しずつ上達している実感があったことが大きい。

    私は受験英語で、文法や単語の基礎はある程度身につけていた。

    Duolingoの学習は、その基礎の上に新しい英語が少しずつ積み重なっていく感じだった。

    たとえるなら、乾いた土に水が染み込んでいくような感覚である。

    すでに持っていた知識が、少しずつ実際に使える英語に変わっていった。


    全コースを修了して伸びたこと

    Duolingoを続けて、一番伸びたと感じるのはヒアリング力である。

    以前よりも、英語の会話を聞いたときに、単語や文章のまとまりが耳に入ってくるようになった。

    また、受験英語ではあまり出てこなかった、日常会話で使われる語彙や表現もかなり増えた。

    もちろん、まだ十分ではない。

    それでも、以前ならまったく聞き取れなかった会話が、少しずつ分かるようになってきた。

    全コース修了は、その積み重ねの結果だったと思う。


    それでも『Friends』は難しい

    一方で、『Friends』の会話は今でも難しい。

    聞き取れるのは、感覚的には半分程度だと思う。

    以前は、単に自分の耳が英語の速さについていけないのだと思っていた。

    しかし、英語字幕を見ながら確認してみると、問題はヒアリングだけではなかった。

    会話で使われている文法や語彙そのものを、まだ知らない場合も多い。

    聞こえないのではなく、聞こえても意味が分からない表現もある。

    Duolingoを全コース修了しても、ネイティブ同士の自然な会話を理解するには、まだ大きな距離がある。

    そのことも、改めて分かった。

    ただし、まったく進歩していないわけではない。

    以前より少しずつ聞き取れるようになっている実感はある。

    だから、全コース修了はゴールではなく、一つの通過点なのだと思っている。


    修了後に現れた「デイリーリフレッシュ」

    修了画面が出たとき、私は一つ気になっていた。

    「この後、Duolingoはどうなるのだろう」

    全コースが終わったのだから、もう学習画面がなくなってしまうのだろうか。

    ところが、修了後に画面を開くと、新しく「デイリーリフレッシュ」というコースが表示された。

    なるほど、うまく作ってあるなと感心した。

    コースを修了して終わりではなく、その後も毎日復習できる仕組みになっている。

    実際にやってみると、このデイリーリフレッシュもよくできている。

    過去に学んだ単語や文法、会話表現を繰り返し確認できる。

    英語は、一度覚えても使わなければ忘れてしまう。

    そう考えると、修了後に毎日復習を続けるこの仕組みは、理にかなっている。

    私は今も、毎日デイリーリフレッシュを続けている。


    思ったことを英語で表現する練習

    今後、特に伸ばしたいのは、自分が思ったことを英語で表現する力である。

    英語を読んだり、問題に答えたりするだけでなく、自分の考えを英語で文章にする力を身につけたい。

    そのため、最近はChatGPTとの会話でも、日本語で書いた後に、同じ内容を英語でも書くようにしている。

    たとえば、何かを相談するときに、まず日本語で質問し、その下に自分なりの英語を書く。

    そして、ChatGPTに質問への回答と一緒に、英語も直してもらう。

    これは、自分の言いたいことを英語にする練習として、かなり役に立っている。

    教科書に載っている文章ではなく、自分が実際に言いたいことを英語にするからである。

    英語日記も続けている。


    これからも続けること

    今後も、次の学習は続けていくつもりである。

    Duolingoのデイリーリフレッシュ。

    YouTubeの『Friends』を使った英会話学習。

    Netflixで見る本物の『Friends』。

    ChatGPTとの英語でのやり取り。

    そして英語日記。

    いろいろな方法を組み合わせながら、少しずつ英語に触れる時間を増やしていきたい。

    最近は、ブログを書くことよりも英語学習を優先したいと思うこともある。

    英語の映画を字幕なしで直接理解できたら、きっと楽しい。

    海外で自然に英語を話せたら、単純に格好いい。

    それに、現在の監査役を退任した後、もう一度仕事を探すことになれば、英語力が役立つ可能性もある。

    実用性もあるが、最後はやはり、

    「英語が分かったら楽しい」

    という気持ちが一番大きいのかもしれない。


    いつかChatGPTと英語だけで話したい

    Duolingoの全コースを修了したからといって、英語学習を卒業したわけではない。

    むしろ、自分に足りないものが、以前よりはっきり見えるようになった。

    『Friends』は、まだ半分くらいしか聞き取れない。

    自分の考えを英語ですぐに表現することも難しい。

    それでも、1,067日前よりは、確実に前に進んでいる。

    67歳だから、もう英語は伸びないとは思わない。

    毎日少しずつでも続ければ、まだ伸ばすことはできる。

    いつかChatGPTと、日本語を使わず、英語だけで自然に会話できるようになったら面白い。

    全コース修了はゴールではない。

    英語学習の、次の段階の始まりである。


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