2019年5月23日。
K社長は、十三年ぶりに伊豆の支店を訪れた。
足は以前より悪くなっており、一人で長距離を移動するのは難しかった。
そこで、別の友人に付き添ってもらい、東京から支店へ向かった。
私も当時、この支店訪問についてK社長から話を聞いていた。
ただ、
「一緒に来てほしい」
と同行を頼まれたのか、
それとも単に、
「今度、支店へ行ってくる」
と聞いていただけなのか。
その点は、今となってははっきり覚えていない。
いずれにしても、私は同行していない。
支店でK社長が面談したのは、支店長と、以前から連絡を取っていた銀行員だった。
ここでは、支店長を「支店長B」、もう一人を「行員C」としておく。
K社長の説明によれば、その席で支店長Bが言った。
「Kさん、金、下ろしたんじゃないの?」
K社長は、その言葉を何度も私に話した。
本人は一円も受け取っていないと訴えている。
もし本当に、その訴えに対する言葉が、
「自分で下ろしたんじゃないのか」
だったとすれば、かなり乱暴に聞こえる。
だが、私はその場にいなかった。
その言葉を直接聞いたわけではない。
私が知っているのは、K社長がそう話していた、ということだけである。
さらに、行員Cからは、
「裁判をするか」
と言われたという。
これも正確な意味は分からない。
「銀行の説明に納得できないなら、裁判を起こせばいい」
という意味だったのか。
「裁判にするつもりなのか」
と確認しただけなのか。
あるいは別の文脈だったのか。
録音も面談記録も残っていない。
ただ、この面談をきっかけに、K社長の認識は大きく変わったようだった。
それまでは、
手続が途中で止まっているだけだ。
足が良くなれば支店へ行けばいい。
銀行にある金が消えるはずはない。
そう思っていた。
ところが、十数年ぶりに支店を訪れ、
「自分で下ろしたんじゃないのか」
と言われた。
そのとき初めて、
手続が止まっているのではない。
預金そのものが、もうない。
そう考えるようになったのだと思う。
面談では、銀行内部の書類をいくつか見せられたという。
どんな書類だったのか。
払戻伝票だったのか。
本人確認資料だったのか。
送金記録だったのか。
K社長の説明だけでは、はっきりしなかった。
帰り際には、それらのコピーを渡された。
ところが、帰路の車の中で確認すると、
「支店で見せられたものと違う」
と感じたという。
「何が違ったんですか」
私が尋ねても、説明は曖昧だった。
ページが違ったのか。
一部が抜けていたのか。
別の書類だったのか。
細部は分からなかった。
しかも、そのコピーは後に警察へ渡したため、手元には残っていなかった。
私は、その話を聞きながら、もどかしさを感じていた。
本当に違う書類だったのなら、なぜその場で確認しなかったのか。
なぜ写真を撮らなかったのか。
なぜコピーをもう一部残さなかったのか。
だが、当時のK社長はすでに高齢で、足も悪かった。
銀行まで行くだけでも大仕事だったはずだ。
もう一つ、私が驚いた話があった。
面談の途中、K社長がトイレに立った。
その際、実印を銀行員に預けたままにしていたという。
戻ってみると、実印は手元になく、銀行員が執務室へ持っていっていた。
そのためK社長は後になって、
自分の知らない書類に、印鑑を押されたのではないか。
と疑っていた。
私は驚いて聞き返した。
「戻ってきたら、実印が手元になかったんですか」
「そうなんですよ。ただ、何か説明されて、その場では納得してしまったんです」
正確な言葉までは覚えていないが、私たちの会話はおおむねそんな内容だった。
K社長が声を荒らげたわけではない。
むしろ、
「何でその場で納得してしまったんでしょうね」
と、自分でも困ったように振り返っていた。
もちろん、本当に銀行員が実印を持って執務室へ入ったのか。
そこで何が行われたのか。
何かの書類に押印されたのか。
確認できる資料はない。
普通に考えれば、にわかには信じ難い。
だからこそ、記録を確認する必要があった。
通帳には、2006年6月8日付で、普通預金と定期預金の全額が払い戻された記録が残っていた。
残高はゼロ。
そこだけは、K社長の記憶ではない。
問題は、その金を誰が受け取ったのかである。
私はK社長に何度も確認した。
「本当に現金を受け取っていませんか」
「受け取ってないですよ」
「別の口座に入っていませんか」
「それもないです」
「弁護士か税理士が受け取った可能性は?」
「ないと思いますよ」
「昔のことで、忘れている可能性はありませんか」
「いや、それはないですよ」
ほぼ毎回、同じ答えだった。
ならば、銀行に確認するしかない。
「銀行の本部へ、正式に確認してもらいましょう」
私はK社長に言った。
記憶ではなく、記録を確認する必要がある。
私は、これまで聞いた話を整理し始めた。

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